模型じかけのオレンジ

模型制作記を中心に、趣味の工作関連、車、オートバイ、その他色々についてロサンゼルスの生活事情と合わせて綴っています。

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考えてみたら、そらそうだよね。 30年経ってるんだから。

 こんばんは。

 

 80-90年代の日本車の事をアップして、意外なことにブックマークのコメントに、懐かしいという感じのコメントを幾つか頂きました。

 日本ならこんなの珍しくないか? と思いながらアップしたものの、ちょっと考えてみたら既に30年程昔の事なので、そらそんな車達は日本では走っていないですよね。

 ちょっと考えたら分かる事を、思考の放棄ですね、お恥ずかしい。

 

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 私は90年代に日本を離れたので、どうも日本のイメージというのはその頃のまま止まっている部分があるようです。

 数年毎に帰国しているので、勿論その都度アップデートされているはずなのですが、もはや滞在中はよその国に居る様な感じで、90年代日本のイメージを上書きするというより、並行してもう一つの日本のイメージとしてそちらだけアップデートされているような気がします。

 

 さて、その頂いたブックマークのコメントの中に「お!そうそう!!!」と思うコメントがありました。

 mfigureさんからいただいたコメントで「ワイルドスピードの影響もあるのでしょうね」というものです。

 どうも「ワイルドスピード」というタイトルに違和感があるので、すみませんが原題の「The Fast and The Furious」(通称FF)で行かせて頂きますが、この映画が北米の日本車スポーツカー事情に与えた影響というのは、かなり大きかったような気がします。

 実は私、このシリーズが大好きで、新作が出るたびに劇場に足を運んでいました。

 FFシリーズは、1作目は見るからに低予算で作られたB級(失礼)映画だったのですが、車=アメ車一番と多くの人が思う中、日本車のスポーツカーを大々的に取り上げた画期的な映画でした。

 カーアクションも斬新で、トレーラーの下をシビックが潜るシーンを予告編で見たときは「すげーーーー!」と皆大騒ぎでした。

 完全にマイノリティだった日本車が脚光を浴びるのを、日本人の車仲間と共に、我がの事の様に誇らしく思ったものです。

 その映画で主人公が乗ったのが、80スープラでした。

 ライバル役が乗っていたのがRX-7 FDです。

 この映画の影響が大きいと思うのですが、元々販売台数が極端に少なかったスープラは、今でも程度の良い中古車は4万ドル~5万ドルくらいで取引されています。

 FDは玉数は多いのですが、やはり程度の良いものは2万ドル~4万ドルくらいします。

 

 2,3作目は若干迷走気味な感もありますが、4作目からはキャスト、スタイル共に原点に戻り、それ以降は毎回シリーズ最高(いや、ほんとに)という評価を得ていった、回を重ねても廃れない珍しいシリーズだと思います。

 しかし、来年にはFF8が公開されるようですが、私は見に行かないかもしれません。

 知っている人は知っていると思いますが、残念なことにFF7を製作中に主役のPaul Walkerが事故で亡くなってしまい、製作も一時中断する大変なことになってしまいました。

 最終的に、Paulの弟を代役とし、CGまで導入して撮影をすすめ、なんとか公開されたのですが、私の中ではそのFF7で「Fast and Furious」シリーズは終了かな という感じです。

 このFF7を劇場で見てきた当時、その映画のレビューをアップしようと記事を書いたのですが、余りにも思い入れが強すぎて、どえらく暑苦しい内容になってしまい、結局アップせず下書きのまま残っています。

 

 偶然ですが、先週末、「The Fast and The Furious」(一作目) を久しぶりに見ました。

 今見ると、なんだか違った意味ですごく面白かったです。

 撮影はLA近辺で行われていたのですが、私のうちの近くの町も撮影場所になっていたりして、「あ、ここはあの辺だ」というシーンが沢山出てきます。

 そして、誇張はあるものの、なんというか この映画に出てくるLAはちょっと懐かしいリアルを感じます。

 

 日本からアメリカでの就職先を探して単身渡米してきた当時、私にはコネも知り合いも何もありません。

 会社には日本人がそれなりの人数働いていたので、それだけで小さいコミュニティの様になっていて、その中だけで生活する人も居ましたが、私は何とかアメリカの中に自分の居場所を作りたくて、色々と動き回っていました。

 映画に出てくるような、仲間内だけでの休日のBBQや、どこかの家を開放して、誰が誰の友達か分からないくらい大勢が集まっての大騒ぎとか、ニアの働いていたようなお店に入ってランチを食べてみたり、当時はそんな事も良くあったなぁ とか。

 元々、大勢の仲間とつるんでいるような生活は性に合わず、どちらかというと単独行動が主で、時々気の合った仲間を一緒になる くらいの方が楽なのですが、当時はそういう生活がアメリカの生活なんだ と思っていたのかもしれません。(それはそれで、すんごい楽しかったのですけどね)

 結局そういう暮らしは私には合わなかったので、最近は近所付き合いさえ殆ど無く、専ら一人で黙々と作業 という暮らしがメインになっていますが、その時に色々とあって居場所を作ることが出来た というか、ステイタスを確立出来た 様な気がします。

 その背景があり、常に一緒にいるわけでは無いけど、繋がっている仲間が沢山いるから不要な付き合いを整理する事も出来たのだと思います。

 その当時、車(240Z)と音楽には本当に助けられました。

 

 映画も久しぶりに見て懐かしかったですが、当時の暮らしを思い出してそちらも懐かしかったです。

 私の生活のスタイルは大分変わりましたが、こちらは基本的に変化が殆ど無いので、私には懐かしいリアルも、今もその場所に行けば当時と変わらずそこにあるんだろうな・・・。

 

 次はちゃんと ちょっと古い日本車集会後編に戻ります。